大師明神邂逅

弘法大師空海が入定された高野山は、弘仁7年(816)に金剛峯寺を建立した時から始まります。
弘仁7年7月のこと。弘法大師は自身が唐から投げた三鈷の落下地を尋ねて、大和国宇智郡(奈良県五條市)を歩いていました。

すると、向こうから1人の猟師がやってきました。顔は赤く、背丈は8尺(2.4メートル)ばかりで、弓矢を持ち青い色の小袖を着ています。

白黒2匹の犬をひきいた姿は、筋骨隆々で見るからにたくましい狩人でした。

 

大師はこの猟師に呼び止められて、旅の目的を話しました。すると猟師は、
「私は“南山の犬飼”だが、その場所を知っている。教えてあげよう」
と言い、連れていた2匹の犬に大師を先導するように言いました。

 

道中でまた一人の山人と出会いました。その山人は大師にこう言いました。
「ここから南に行くと平原の沢がある。そこがそなたの求める地だ。
……じつは、私はこの山の王なのだ。あなたに私の領地を差し上げよう」

 

さらに山を分け入ると、大師は8つの峰に囲まれた平原に至りました。
平原の中の一本の木に三鈷が輝くのを見て、長らく求めた禅定の地がここであることを知って大師は感涙にむせんだといいます。
大師は山人に「いったいあなたはどなたなのですか」と尋ねました。
山人は「丹生明神(丹生都比売大神)」と名乗り、白黒2犬を遣わせたのは「高野御子大神(狩場明神)」であると名乗られたそうです。

~『今昔物語集』より~

 

その後、大師が狩人の姿をした「狩場明神」に出会った場所に轉法輪寺が建立されました。
大師と明神、仏と神が共に共栄する理想の仏閣として1200年の法灯を保持しています。
『高野大師行状図絵』より「高野尋入事」

『高野大師行状図絵』より「高野尋入事」

ここでは白黒二犬ではなく、黒色大小二犬として描かれています。