山門
24号線に面した駐車場から石の階段を上がったところにある山門です。
鐘楼堂を兼ねたつくりになっており、朝晩6時に鐘を撞いています。
自由に撞いて頂いて構いません。
地蔵堂
昭和39年に開眼された子安地蔵尊と
現在までに永代供養をされたお地蔵さまをお祀りしています。
本堂
当山の本堂と、その前に佇む修行大師像。
寛永10年作・宝形造・銅板葺・内部折上・小組天女の建物です。
本尊である弘法大師をお祀りしています。
その他にも不動明王、愛染明王、阿弥陀如来・聖天さまのほか
裏堂には600体の修行大師像をお祀りしています。
修行大師像の足元からは、本堂にて加持をした「加持水」をお汲み頂けます。
丹生狩場明神社
室町時代作・春日造。
平成6年に補修工事を行い、建立当初の彩色を復元いたしました。
右が狩場明神社(高野御子大神社)・左が丹生都比売明神社です。
左の社の中には白髭稲荷明神もお祀りされています。
手前の白黒2犬の間にあるのは、彼らの足跡がついていると言われている霊石があります。
大教堂遍照殿
大教堂。お大師様、地蔵菩薩、不動明王、虚空蔵菩薩、普賢菩薩、布袋和尚などをお祀りしています。
主な行事はここで行っています。 また、永代供養もこのお堂にお祀りしています。
行事の日以外でも開放しております。ご自由にご参拝ください。
稲荷明神社
末広稲荷明神と祓戸大神をお祀りする稲荷社。 商売繁盛・五穀豊穣の神様です。
3月5日の大祭には教堂に遷宮してお祀りします。
「鳴り護摩」の修法も年に一回、その日に行います。
護摩堂・庫裏客殿
裏門の隣に位置する護摩堂。
不動尊・五大明王・十二神将などをお祀りしています。
毎早朝より護摩を修して祈願を行っております。(朝の護摩の一般の内拝は通常受け付けておりません。ご了承下さい。)
お参りされたい場合は外から、もしくは直接ご相談下さい。
八十八か所お砂踏み霊場
遍路修行の発端である四国88ヶ所の霊場、 一ヶ寺一ヶ寺からお砂を集めさせて頂いて作りました。
霊場毎に錫杖を立てています。 弘法大師の同行二人のお気持ちでお参り下さい。
明神塚古墳を一周すると、88ヶ所成満です。
そのほかの霊蹟
- 大師塚古墳・明神塚古墳
6世紀初めに造られたとされる円墳です。直径12メートル。
大師塚古墳には、日本最初期と言われる御宝号「南無大師遍照金剛」が刻まれた碑が建っています。
それと向き合うように、明神塚古墳には「南無丹生大明神」と刻まれた碑が建っています。
轉法輪寺史
「大師明神邂逅」
弘法大師空海が入定された高野山は、弘仁7年(816)に金剛峯寺を建立した時から始まります。
弘仁7年7月のこと。弘法大師は自身が唐から投げた三鈷の落下地を尋ねて、大和国宇智郡(奈良県五條市)を歩いていました。
すると、向こうから1人の猟師がやってきました。顔は赤く、背丈は8尺(2.4メートル)ばかりで、弓矢を持ち青い色の小袖を着ています。
白黒2匹の犬をひきいた姿は、筋骨隆々で見るからにたくましい狩人でした。
大師はこの猟師に呼び止められて、旅の目的を話しました。すると猟師は、「私は“南山の犬飼”だが、その場所を知っている。教えてあげよう」と言い、連れていた2匹の犬に大師を先導するように言いました。
道中でまた一人の山人と出会いました。その山人は大師にこう言いました。「ここから南に行くと平原の沢がある。そこがそなたの求める地だ。……じつは、私はこの山の王なのだ。あなたに私の領地を差し上げよう」
さらに山を分け入ると、大師は8つの峰に囲まれた平原に至りました。
平原の中の一本の木に三鈷が輝くのを見て、長らく求めた禅定の地がここであることを知って大師は感涙にむせんだといいます。
大師は山人に「いったいあなたはどなたなのですか」と尋ねました。山人は「丹生明神(丹生都比売大神)」と名乗り、白黒2犬を遣わせたのは「高野御子大神(狩場明神)」であると名乗られたそうです。
~『今昔物語集』より~
その後、大師が狩人の姿をした「狩場明神」に出会った場所に轉法輪寺が建立されました。
大師と明神、仏と神が共栄する理想の仏閣として1200年の法灯を保持しています。
『高野大師行状図絵』より「高野尋入事」
ここでは白黒二犬ではなく、黒色大小二犬として描かれています。